桜の古木は 尽きることのない花を咲かせ 散らしています 桜の古木には 二つの魂が宿っています 一つは その桜を護り続ける 名も無き鬼 また 一つは その桜に身を吊った 哀しき少女 鬼の愛した少女 鬼を愛した少女 今宵も かの二つの魂は 遠き昔の夢を 悲しき始まりの夢を見ています 遠き昔 この世の者で亡き者達の生きていた時代。 時は平安、今上の政 、正道にて、百鬼夜行と呼ばれし都に美しい少女がいた。 蘇芳の大納言の四の姫−山吹の君は漸く裳着を終えたばかりであった。 かの姫はこの上なく美しく、心根も優しく、聡明で、音楽のたしなみも深かった。 そして、この度東宮の后宮として入内することが決まっていた。周囲があわただしく東宮妃として入内するための準備に忙しい日々を過ごす中、姫はなぜか沈んでいた。 姫の頭の中には、東宮妃となる事への思いはなく、8年前の幼い日の思い出がよみがえっていた。 あの幻のような不思議な桜を見た日。 「どうした? どこか痛いのか?」 そっと、髪を撫でられた見上げると、朧月の様な不思議な黄金色をした瞳がこちらを見つめていた。 あの鬼に出逢った日。 まだ少女だった山吹の君が家族に連れられ、桜見物の遊山のために訪れた屋敷をそっと抜け出した夜。 大人達が宵の月と桜を肴に酒を酌みかわす中、まだ幼い山吹の君は一人で夜桜を見るために屋敷を抜け出して山の中に分け入っていった。 遠くで側に使えている女房の左近が自分を呼ぶのが聞こえたが、山吹は素知らぬ顔で夜の山の散策へと出かけたのだった。 お気に入りの手鞠と共に山桜が満開の桜吹雪の中、昼間とはまったく違う夜の山で山吹はいつしか道に迷ってしまっていた。 月が雲に隠れて、桜に閉じこめられたように錯覚してしまう様な闇の中で幼い山吹は山を下りようと歩き回った。しかし、月の光がないうえに、似たような山桜のせいで山吹はますます山奥へと迷い込んでいった。 やがて、山は夜霧包まれ始めた。 山吹は、いつの間にか鞠を無くしてしまい、次第に寒くなってきた山の中で二度と帰れないと思い始めた。そして、遂に疲れ果ててうずくまって震え始めた。 指先や爪先の冷たさが全身にじわじわと拡がり、その目からは涙が溢れてきた。 「どうした? どこか痛いのか?」 周りの夜霧は消え去り、だれもいないと思われたこの山奥で優しい声と共にそっと、髪を撫でられ見上げると、朧月の様な不思議な黄金色をした瞳がこちらを見つめていた。 その時、ちょうどほぼ満ちていた月が雲から顔を出し蜜色の輝きを辺りに降らした。 その光の中に見たこともない若い青年ぐらいの歳に見える公達が、幼い山吹のとなりに膝を折り、豊かな姫の背の中ほどで切り揃えられた尼そぎの黒髪を撫でていた。 その公達は、表が白で裏が二藍の桜襲の狩衣を身に着け、長い髪を結わずに垂らしたままにしていた。背を流れる髪は白金の様な輝きをおびた絹糸の様で、瞳は朧月の黄金の炎を宿していた。それはとても幻想的だった。 「・・・・」 山吹は思わず目を奪われて、自分が震えていたこと、泣いていたことを忘れてしまった。 公達は、撫でていた山吹の髪から手を外すとその頬に触れた。 「どうした?このような山奥に家柄の良い姫君が供も連れずに」 公達はそう言って山吹のその様子に怪訝そうに軽く首を傾けた、サラサラと細い髪がその瞳にかかり美しさを増した。 「あなたは・・・だれ?桜の精?」 山吹は大きく瞬きをすると、目の前の公達に問いかけた。 「なぜそう思う?」 「御本にかいてあったから。桜の精は若くて綺麗な殿方だと」 「確かにそう言う話もあるだろうが・・・、姫君は物知りだな」 公達はわずかに驚いたように笑った。 「それで、何故この様なところに?」 「一人で桜を見たかったから・・・。自由に外に出られないから姫はつまらない・・・。」 幼い山吹の君はそう言ってうつむいてふくれた。お転婆だけれど、何とも可愛らしい姿だった。 「姫君は、桜とこの山の伝説を知っているか?」 「今日ここに来たばかりだから、知らない。どの様な話なの?」 「桜の下には死体が埋められていて、桜がほのかに赤いのは死体の血を吸い上げているからなんだ。そしてこの山には、創られた鬼が眠っている。この桜の咲き乱れる山の中に。そして、気に入ったものがあれば連れ去って食べてしまうんだよ。・・・・・・怖くはないのか?」 「怖くはない。見たこともないから、話だけでは怖くない。それに、この山の桜は多いからその全部に死体が埋められていたら大変だと思うから」 公達は幼い姫を怖がらせようとしたのか、山吹のその無邪気な笑顔でのこの言い方に少しがっかりしたような顔をした。 しかし、公達は山吹の幼いながらも整えられた顔と、人を真っ直ぐ見て相手を包むような大きな瞳をじっと見つめ始めた。山吹の黒曜石のような瞳の中に、二つの朧月が写った。 「変わった姫君だ」 公達はそう言うと、山吹の身体を抱きかかえ立ち上がった。 「わっ。なにを・・・」 「その汚れた足を洗って、それが終わったら姫君の屋敷の近くまで連れていってあげよう」 よく見れば、山吹の足は山を彷徨ったために土で汚れていた。 二人はそのまま山桜のない林の奥へと分け入っていった。 しばらく行くと、静かに水をたたえる湖に出た。 そして、その湖の淵には一本の桜があった。桜は雪のような純白の花を咲かせ、今までに見たどの桜とも山桜とも違っていた。何よりも、美しく見えた。 「あなたはこの桜の精?」 山吹は湖岸の石の上に座り、優しく土に汚れた足を濡れた布で拭いてくれる公達に問いかけた。 公達は、この問いには答えずただ静かに山吹の足を綺麗にしてくれた。 「さぁ。綺麗になった」 全ての土を拭き取ると、公達は山吹の髪を緩やかに梳いて言った。 「そう言えば、名を聞いていなかったが姫君の名は何というのだ?嫌ならば無理にとは言わないが」 「蘇芳の大納言の四の娘で山吹。 あなたの名前は?」 山吹は元気に自分の名前を言うと、公達に名を問い返した。 「 山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく 」 公達はそう呟くと、一瞬、考えるような仕種を見せた。 やがて公達は、山吹の瞳をじっと見つめ始めた。山吹も公達の瞳を見つめ返した。 やはり、公達のその瞳は朧月の黄金を封じたようで幻想的で、目が離せなくなっていった。自分の問いに答えてくれない公達に何か言いたいのに、何故か声が出なくなっていた。 『何だろう・・・不思議な感覚がする』 山吹は公達のその黄金の光に囚われているようで目を離せなくなっていた。まるで全てを呑み込まれたようだった。 すっ……と、目の前で公達が手を伸ばしても、山吹は微動だに出来なかった。ただその動きを眺めていると……頬に公達の手が触れた。 公達を近くで見ると、目を見張るほど端整な顔立ちをしているのが解った。軽く伏せられた睫も意外に長く、華奢な方に入る体つきで、山吹の頬に添えられた細い指と手のひらは肌触りも柔らかく、ひんやりの冷たく心地よかった。また、肌の色は白磁の様に白いのに……貧弱とか、弱々しいとか、そういう印象は全く感じられなかった。まるで、人外のモノが創ったような姿だった。 そう、まるで鬼のようだった。 「あなたは・・・、この山の鬼なの?」 山吹が、そんな風に考えて言うと公達はフッと微笑んだ。 そして、山吹の耳元に、唇が触れてしまうほど近付けて囁いた。 「山吹の君、名はそなたが考えてくれ」 その瞬間、公達の息が山吹の耳朶にかかた。 かぁっと、頬が赤く染まった。 そんな山吹の反応に満足したかのように、公達は笑って山吹の手の中に何かを握らせた。 「次に会う時までに、考えておいてくれ。」 ちゅ。 赤く染まって固まっている山吹の頬に、軽い口づけをしたのだった。 すると、微かに香るか香らないかというぐらいのわずかな薫りがして、山吹の意識はそこで途切れてしまった。 気が付くと、山吹は屋敷の自分の部屋で眠っていた。 「夢・・・・?」 山吹は首を捻ってそう思い始めた時、自分の手の中に何かがあるのに気が付いた。 それは、小さな土鈴だった。 小さな蛤の様な形をしたその土鈴は、振ると耳に心地よい微かな音を山吹に届けてくれた。 小さな土鈴には、桜の花びらの絵柄が描かれていた。 あれから、8年もの月日が過ぎていた。 幼かった山吹の君は、今では都でも有名な姫君をなり、この度東宮妃として入内することが決まったのだった。 しかし、彼女の心にはあの日の公達のことが鮮明に浮かんでいた。 「やはり・・・、あの者は鬼だったのだろうか?」 あれ以来、あの山へ行くことが無くなった為、あの不思議な公達には会うことはなかった。 しかし、今もあの小さな土鈴は山吹の元で心地よい音を届けてくれていた。 桜の古木は 尽きることのない花を咲かせ 散らしています 桜の古木には 二つの魂が宿っています 一つは その桜を護り続ける 名も無き鬼 また一つは その桜に身を吊った 眠れし少女 鬼の愛した少女 鬼を愛した少女 今宵も かの二つの魂は 遠き昔の夢を 悲しき始まりの夢を見ています |